学問の神様になった天神様

——京都から太宰府まで飛んだ梅——

●天の神様が学問の神様になった

 天神様は国つ神に対する天つ神。本来は天におわす神様でした。ところが平安時代以降は、もっぱら菅原道真の御霊を指すようになりました。

 菅原道真は右大臣にまで上り詰めた秀才。書にも優れ、弘法大師、小野道風と並んで三聖と言われたほどでした。ところが、左大臣藤原時平に失脚させられ、太宰府に流されてしまいます。そして、失意のうちに亡くなってしまいました。

 道真が亡くなった後、京都には疫病が流行ったり、落雷や火災、天変地異が続きました。人々は道真の怨霊の仕業と考え、御霊を慰めるために天神様としてお祭りしました。

●不幸な人が大好き

 日本人は“判官贔屓(なんがんびいき)”とも言い、高貴な生まれで道半ばにして不幸になった人が大好き。実在の人物が神様に祭られる例はいくつもありますが、特に天神様は全国に祭られ、他の神社にもまして膨大な数! 1万2千社もあると言われています。ちなみに、雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と言うのは、かつて道真が住んでいた京都の桑原の地だけは落雷の被害にあわなかったので、それにあやかろうという意味だそうです。

●飛梅伝説

 道真の京都への憧憬はいかばかりだったでしょうか。

 「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」

 都は太宰府から東に当たります。かつて住んでいた家の梅の花を懐かしみ、春に東から吹く風に乗って、せめて香りだけでも運んで欲しいと歌に託します。

 すると梅の花が飛んできて太宰府に根付いたそうです。太宰府天満宮の庭に“飛梅”の木があるので、訪れた際はお見逃しなく。