9月は、重陽の節句
——陽が重なるので重陽—

●中国の陰陽思想では奇数が陽
 中国から渡って来た陰陽思想では、奇数は陽、偶数は陰。例えば、1月1日は元旦。3月3日はひな祭り、5月5日は端午の節句、7月7日は七夕。そして9月9日は、最も数が多い最高の数字。9が重なって目出度さが極まったこの日は重陽の節句として最も尊ばれました。
 重陽の節句が日本に伝来したのは古く、平安時代にはすでに重陽節として宮中に取り入れられました。貴族たちは香りの強いシュユという植物を身につけて邪気を避けたり、宴を開いて菊酒を飲み、綿を菊の花に被せて露で濡れた被綿で体を撫でて長寿を願いました。被綿はまた、肌を美しくすると信じられ、女性達に人気でした。

●菊が珍重された訳
 『万葉集』には1首もない菊の歌が、『源氏物語』には20回登場するのをみても、菊が平安貴族にどれほど親しまれていたかが分かります。
 菊の香りにはカンファ―という香気物質があり、現代でも虫よけに使うくらいですから、科学的にも理にかなっていたのです。
 桃の節句の桃酒、端午の節句の菖蒲酒、重陽の節句の菊酒……植物に宿る霊力を信じつつ、何かといえば酒を酌み交わすのが節句の楽しみだったのでしょう。

●たくさんの花びらを括るキク
菊をキクと呼んでいますが、本来はククでした。たくさんの花びらを括っている花という説が有力。奈良時代の初期に菊が中国から伝わった時、中国の呼び名と日本のくくるという意味の音が似ていたので、無理なく「キク」に落ち着いたのではないかと言われています。

●江戸時代からは五節句に
 江戸時代からは五節句に数えられましたが、中でも最も重要な行事として江戸城内の行事となりました。
 諸侯は綸子や羽二重などの布、紅白の餅、鯛などを献上。おしゃれな大名が熨斗の代わりに菊の花を添えたという話も伝わっています。
 本来、9月9日を敬老の日とするのが歴史に沿っていると思われますが、現代の敬老の日はなぜか9月の19日になりました。