花といえば梅の花
——満開の便りがいっぱいです—

●平安初期までは、花といえば梅の花
 各地から、梅の花の満開の便りが届いています。
 奈良時代から平安初期までは、花といえば梅の花をさしていました。『万葉集』には、梅の花を謳った歌は116首。桜は41首しかありません。春一番に咲く梅の花は、香りの良い五弁の花を咲かせてくれます。春を待つうきうきした気持ちにさせてくれるだけでなく、実は実用にもなり、薬用にもなり、染料にも、木は器にもなります。

●梅といえば菅原道真
道真は、右大臣にまで上り詰めた秀才です。書にも優れ、弘法大師と小野道風と並んで三聖と言われました。
ところが左大臣藤原時平に失脚させられ、大宰府天満宮に流されてしまいました。
失意のうちに道真が亡くなった後、京都には疫病が流行り、落雷や火災、天変地異が続きました。人々は道真の怨霊の仕業と考え、天神様としてお祭りしました。
天神さまは、国つ神に対する天つ神。本来は天におわす神様だったんですけどね。
ちなみに、雷が鳴ると「桑原、桑原」というのは、かつて道真が住んでいた京都の桑原だけは落雷の被害に遭わなかったから、それにあやかりたいという願いでした。

●梅が西に飛んでいきました
 都は大宰府から東に当たります。道真は、かつて住んでいた家の梅の花を懐かしみ、春に東から吹く風に乗せて、せめて香りだけでも運んでほしいと歌に託します。
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」
 すると、匂いだけでなく梅が飛んできて太宰府天満宮の庭に根付いたそうです。その故事に倣って、今でも天満宮には飛梅が植えられています。

●梅から桜になったのは
 嵯峨天皇(786~842)が清水寺に隣接する地主神社を通りがかった時。境内の桜の美しさに牛車を二度、三度と引き返らせて眺めたと伝えられます。地主神社の桜は、「お車返しの桜」と呼ばれるようになりました。
 それをきっかけに、花といえば梅から桜へと貴族の興味が移っていったそうです。